Author: | ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ, 岩崎真澄, 吹田順助, 上妻純一郎 | ISBN: | 1230003025536 |
Publisher: | 古典教養文庫 | Publication: | January 9, 2019 |
Imprint: | Language: | Japanese |
Author: | ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ, 岩崎真澄, 吹田順助, 上妻純一郎 |
ISBN: | 1230003025536 |
Publisher: | 古典教養文庫 |
Publication: | January 9, 2019 |
Imprint: | |
Language: | Japanese |
(この本について)
この本は、ゲーテの『イタリア紀行」の上中下の三巻すべてを収めた完全版です。
この本は、近代デジタルライブラリーにより公開されているデータにより作成しました。詳細は以下のようになります。
一、上巻と中巻
ゲーテ全集 第十巻「伊太利紀行」
著者 ウォルフガング・フォン・ゲーテ
訳者 岩崎真澄
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978877
二、下巻
ゲーテ全集 第十四巻
大村書店 大正十四年(一九二五年)出版
著者 ウォルフガング・フォン・ゲーテ
訳者 吹田順助
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1017094
収録にあたっては、旧仮名遣いを新仮名遣いに改めました。また、旧漢字を新漢字に改めました。さらに、読みにくい漢字にはルビを振りました。
表現を、原書や忠実な英訳、また他の翻訳書と比較しながら、現在の日本語に近くなるように大幅に改めました。
割り注の形で、注を適宜つけました。これは、原訳書にあるものに、編集者が独自に加えたものです。
参考の写真を、主にウィキペディアから著作権フリーのものに限って多数掲載し、旅行記として楽しめるよう工夫しました。カラーのデバイスで読むと、このイタリアの旅を十分に味読できます。なお、写真や地図はダブルタップやダブルクリックなどで拡大して見ることができます。
また、各都市の説明については Wikipedia などを参考にして加筆しました。
上巻末に、原翻訳書にあったゲーテのイタリア旅行経過図を、全体のものと、三つに分割して拡大したものとを掲載しました。
巻末に、上巻中巻の翻訳者である岩崎真澄による詳細にわたる解題を掲載しましたので、ご参考にしてください。
(イタリア紀行について)
ゲーテは、一七七五年以来、ワイマール公国のカール・アウグスト公の依頼を受けて、ワイマールに移り、そこで閣僚となった。ゲーテは文学を離れ、政務を取り仕切った。またこの頃、シャルロッテ・フォン・シュタイン夫人との恋愛関係に陥った。そして、一七八二年には神聖ローマ皇帝ヨーゼフ二世により貴族に列せられワイマール公国の宰相となった。
しかし、ゲーテは、一七八六年、ワイマールのアウグスト公に無期限の休暇を願い出、九月にイタリアへ旅立ったのであった。もともとゲーテの父がイタリアが好きであったこともあり、ゲーテにとってイタリアはかねてからの憧れの地であった。出発時ゲーテはアウグスト公にもシュタイン夫人にも行き先を告げず、イタリアに入ってからも名前や身分を偽って行動した。出発時にイタリア行きを知っていたのは召使のフィリップ・ザイテルただ一人で、このことは帰国後シュタイン夫人との仲が断絶する原因ともなったという。
このイタリアへの旅は、ゲーテにとって、「ドイツにおいて自分を苦しめ悩ました肉体的・精神的な病気を治癒すること」が目的であった。
ゲーテはまずローマに宿を取り、その後ナポリ、シチリア島を訪れるなどし、結局二年もの間イタリアに滞在した。ゲーテは書簡でこの時のことを次のように書いている。
「ローマに入った日は、私の第二の誕生日である。真の再生日である。新たな青春、第二の青春、新しい人間、新しい生活が始まるのだ。」
ゲーテはイタリア風の服装をし、イタリア語を流暢に操り、この地の芸術家と交流した。その間に友人の画家ティシュバインの案内で美術品を見に各地を訪れ、特に古代の美術品を熱心に鑑賞した。午前中はしばらく滞っていた文学活動に精を出し、一七八七年一月には『イフィゲーニエ』をこの地で完成させ、さらに『タッソー』『ファウスト断片』を書き進めた。また旅行中に読んだベンヴェヌート・チェッリーニの自伝を帰国後にドイツ語に訳しており、さらに三十年後にはイタリア滞在中の日記や書簡をもとにして書いたのが、この『イタリア紀行』である。
一七八八年にイタリア旅行から帰ったゲーテは芸術に対する思いを新たにし、宮廷の人々との間に距離を感じるようになった。ゲーテはしばらく公務から外れたが、イタリア旅行中より刊行が始まった著作集は売れ行きが伸びず、ゲーテを失望させることになった。なお帰国してから二年後の一七九〇年に二度目のイタリア旅行を行なっているが、一回目とは逆に幻滅を感じ、数ヶ月で帰国した。
(古典教養文庫について)
古典教養文庫は、日本のみならず広く世界の古典を、電子書籍という形で広めようと言うプロジェクトです。以下のような特長があります。
1、古典として価値あるものだけを
これまで長く残って来たもの、これから長く読み継がれていくものだけを選んで出版します。
2、読みやすいレイアウト
文章のまとまりを、適切な改ページで区切って、電子書籍デバイスはもちろん、スマートフォンやタブレットなどでの読書に最適化しました。またMacやパソコンでも読むことができます。
3、すばやい操作性
索引を付けましたので、目次から直接アクセスできます。
4、美しい表紙
プロのデザイナーによる美しい表紙をつけました。書籍と関連づけられた美しい表紙で、実際の本を読むような感覚に浸れます。
5、スピーディーな改版
紙の本と違い、誤植の修正や改訂などすぐに対応でき、刻々と進化を続けます。古典教養文庫のブログに書き込むことで迅速なレスポンスが得られます。
(この本について)
この本は、ゲーテの『イタリア紀行」の上中下の三巻すべてを収めた完全版です。
この本は、近代デジタルライブラリーにより公開されているデータにより作成しました。詳細は以下のようになります。
一、上巻と中巻
ゲーテ全集 第十巻「伊太利紀行」
著者 ウォルフガング・フォン・ゲーテ
訳者 岩崎真澄
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978877
二、下巻
ゲーテ全集 第十四巻
大村書店 大正十四年(一九二五年)出版
著者 ウォルフガング・フォン・ゲーテ
訳者 吹田順助
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1017094
収録にあたっては、旧仮名遣いを新仮名遣いに改めました。また、旧漢字を新漢字に改めました。さらに、読みにくい漢字にはルビを振りました。
表現を、原書や忠実な英訳、また他の翻訳書と比較しながら、現在の日本語に近くなるように大幅に改めました。
割り注の形で、注を適宜つけました。これは、原訳書にあるものに、編集者が独自に加えたものです。
参考の写真を、主にウィキペディアから著作権フリーのものに限って多数掲載し、旅行記として楽しめるよう工夫しました。カラーのデバイスで読むと、このイタリアの旅を十分に味読できます。なお、写真や地図はダブルタップやダブルクリックなどで拡大して見ることができます。
また、各都市の説明については Wikipedia などを参考にして加筆しました。
上巻末に、原翻訳書にあったゲーテのイタリア旅行経過図を、全体のものと、三つに分割して拡大したものとを掲載しました。
巻末に、上巻中巻の翻訳者である岩崎真澄による詳細にわたる解題を掲載しましたので、ご参考にしてください。
(イタリア紀行について)
ゲーテは、一七七五年以来、ワイマール公国のカール・アウグスト公の依頼を受けて、ワイマールに移り、そこで閣僚となった。ゲーテは文学を離れ、政務を取り仕切った。またこの頃、シャルロッテ・フォン・シュタイン夫人との恋愛関係に陥った。そして、一七八二年には神聖ローマ皇帝ヨーゼフ二世により貴族に列せられワイマール公国の宰相となった。
しかし、ゲーテは、一七八六年、ワイマールのアウグスト公に無期限の休暇を願い出、九月にイタリアへ旅立ったのであった。もともとゲーテの父がイタリアが好きであったこともあり、ゲーテにとってイタリアはかねてからの憧れの地であった。出発時ゲーテはアウグスト公にもシュタイン夫人にも行き先を告げず、イタリアに入ってからも名前や身分を偽って行動した。出発時にイタリア行きを知っていたのは召使のフィリップ・ザイテルただ一人で、このことは帰国後シュタイン夫人との仲が断絶する原因ともなったという。
このイタリアへの旅は、ゲーテにとって、「ドイツにおいて自分を苦しめ悩ました肉体的・精神的な病気を治癒すること」が目的であった。
ゲーテはまずローマに宿を取り、その後ナポリ、シチリア島を訪れるなどし、結局二年もの間イタリアに滞在した。ゲーテは書簡でこの時のことを次のように書いている。
「ローマに入った日は、私の第二の誕生日である。真の再生日である。新たな青春、第二の青春、新しい人間、新しい生活が始まるのだ。」
ゲーテはイタリア風の服装をし、イタリア語を流暢に操り、この地の芸術家と交流した。その間に友人の画家ティシュバインの案内で美術品を見に各地を訪れ、特に古代の美術品を熱心に鑑賞した。午前中はしばらく滞っていた文学活動に精を出し、一七八七年一月には『イフィゲーニエ』をこの地で完成させ、さらに『タッソー』『ファウスト断片』を書き進めた。また旅行中に読んだベンヴェヌート・チェッリーニの自伝を帰国後にドイツ語に訳しており、さらに三十年後にはイタリア滞在中の日記や書簡をもとにして書いたのが、この『イタリア紀行』である。
一七八八年にイタリア旅行から帰ったゲーテは芸術に対する思いを新たにし、宮廷の人々との間に距離を感じるようになった。ゲーテはしばらく公務から外れたが、イタリア旅行中より刊行が始まった著作集は売れ行きが伸びず、ゲーテを失望させることになった。なお帰国してから二年後の一七九〇年に二度目のイタリア旅行を行なっているが、一回目とは逆に幻滅を感じ、数ヶ月で帰国した。
(古典教養文庫について)
古典教養文庫は、日本のみならず広く世界の古典を、電子書籍という形で広めようと言うプロジェクトです。以下のような特長があります。
1、古典として価値あるものだけを
これまで長く残って来たもの、これから長く読み継がれていくものだけを選んで出版します。
2、読みやすいレイアウト
文章のまとまりを、適切な改ページで区切って、電子書籍デバイスはもちろん、スマートフォンやタブレットなどでの読書に最適化しました。またMacやパソコンでも読むことができます。
3、すばやい操作性
索引を付けましたので、目次から直接アクセスできます。
4、美しい表紙
プロのデザイナーによる美しい表紙をつけました。書籍と関連づけられた美しい表紙で、実際の本を読むような感覚に浸れます。
5、スピーディーな改版
紙の本と違い、誤植の修正や改訂などすぐに対応でき、刻々と進化を続けます。古典教養文庫のブログに書き込むことで迅速なレスポンスが得られます。